平安時代その4 院政期と平氏の台頭
今回は院政です。
院政とは、天皇が自分の幼少の子に天皇の地位を譲り、
上皇(じょうこう)(天皇をやめた方)として政治の実権をにぎるしくみです。
上皇の住まいを院と呼び、そこで政治が行われるので、院政と呼ばれました。
前回の摂関政治は母方の血縁関係を利用しましたが、院政は父方の血縁関係を利用します。
院政のポイントは、
☆院政を始めたのは誰か? → 白河上皇 です
☆何年に始まったか? → <1086年> です
※院を警備するために雇われた武士を「北面(ほくめん)の武士」といいますが、余力があったら覚える
・・・でよいです。
息子である天皇が幼少のころは言うことをほぼそのまま聞いてくれるからよいのですが、
だんだん大きくなってくると、
「オレは天皇なのに、なんで上皇(父)の言うことを聞かなあかんねん・・・」
となります(反抗期ってやつですね)。
上皇にもっと小さな息子がいれば、その子に天皇の地位を譲らせてめでたしめでたし・・・なのですが、
いない場合は親子ゲンカになるわけで・・・、
中には戦乱にまで発展したものがあります。
それが<1156年>に起きた保元の乱です。
簡単に言うと、上皇と天皇との親子ゲンカです(原因はこれだけではないですよ)。
しかし、上皇と天皇がストリートファイトするわけにはいかないので、
どちらも「勝ったら、〇〇をあげるからさぁ~、頼むよぉ~ (>人<)」と武士に戦ってもらうのです。
保元の乱は天皇側が勝ちました。天皇側についた武士は発言力を増すわけです。
「いったい、誰のおかげで…?」と迫れるのです。
こうして、武士が政治に口を出すようになっていきます。
※何天皇なのかは知らなくてよいです。
最後に、保元の乱のあと、天皇側についた武士のなかで平清盛(たいらのきよもり)と
源義朝(みなもとのよしとも)(頼朝の父)の対立が深まっていくことを頭の片隅にでも置いておいてください。
次回につながります。
覚えるまで何度も動画を見直してくださいね。
それでは、合格目指して頑張ろう‼